ワールドチルドレンフォトプロジェクト

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庄司博彦 3/28(火) 21:01:57 No.20170328210157 返信 削除
庄司博彦プロフィール

1945年 静岡県生まれ 日本大学卒 フォトジャーナリスト 元東京家政大学非常勤講師
(公)日本写真家協会(社)日本作家クラブ常任理事 文化庁学校への芸術家派遣事業講師
JICA海外開発教育指導員 非営利活動 ワールドチルドレン フォトプロジェクト代表 
2014年、外務省発行の「にぽにか」誌・第13号に富士山を撮影した写真が「あっちにも
こっちにも富士山」というタイトルで、特集として組まれ7か国語(アラビア語・ロシア語
・フランス語・スペイン語・英語・日本語・中国語)に翻訳され世界各地に向けて配信中。

  写真展と講演会
国内では全国35都市で写真展と講演会開催。海外では2001年中国上海市対外文化交流協会の
主催で(上海市・岳陽市)シリアでは2010年日本人初・シリア文化庁主催(ダマスカス市・
スェイダ市)で写真展開催。その模様はシリア国営テレビで放映され大好評。
著書  2001年  「SOUVENIR OF CHINA」     発行 Bee Books
2007年  「写ルンです」で撮った平和  発行 毎日新聞社
掲載誌 2003年  ART MAGAZINE JAPAN グラビア特集   「ニューヨーク・明日への瞳」
2004年  サンデー毎日  グラビア特集記事   「私のウチは墓場!」  
2006年  サンデー毎日  グラビア特集記事   「平和の扉をノックする」  
2006年  サンデー毎日  グラビア特集記事   「蒼き狼の子孫たち」  
受賞  2012年  日本作家クラブ文芸賞受賞     作品「3・11被災地からの報告」
2016年  富士市教育文化スポーツ奨励賞 長年フォトジャーナリストとして活躍

雑誌・新聞の執筆、取材活動を続けながら大使館のサポートを受けモンゴル・インドネシア
・ベトナム・カンボジア・パキスタン・イラン・イスラエル・南アフリカ?中国・ポーランド
・アメリカ・シリア・日本を歴訪。全世界に約2000人以上の教え子がいる。
東日本大震災直後から現地より震災報道を伝える一方、ボランティアで石巻市内の小・中学
校に出向き授業の一環として「フォトセラピー写真教室」により心を癒す活動を実施し継続
支援。ドイツ製の高級カメラを、祖父に買ってもらったのは9歳の夏。そのカメラでスクリー
ンの石原裕次郎さんを撮るため映画館通い。大学では映画研究会を作り日活撮影所でアルバ
イト。そのおかげで憧れの裕次郎さんと出会う事が出来た。

大学卒業後 静岡トヨペット(株)に入社。新車販売新記録を次々に更新する偉業を達成
トヨタ自動車 最優秀セールスマン特別表彰 入社以来 営業職に在職中の7年間連続受賞
1972年度、トヨタ自動車新車年間最多販売台数新記録 年間286台(個人客) 販売新記録
1972年度 新車連続3ケ月販売新記録 105台(10月28台・11月33台・12月44台)
1974年04月 新車累計販売1000台 最短販売新記録 入社以来わずか6年11ケ月で達成
1974年12月 新車月間最多販売台数新記録(日本新記録) 1ケ月で45台販売(個人客)
トヨタでは、「伝説のセールスマン」と呼ばれ、これらの記録はいまだに破られていない。
写真展 国内では全国35都市で開催 <東京 札幌 仙台 大阪 広島 福岡 沖縄
横浜 名古屋 旭川 函館 秋田 盛岡 新潟 石川 松本 和歌山 高崎 
水戸 甲府 静岡 三重 鳥取 岡山 宇都宮 長崎 宮崎 熊本 四国(愛媛)
埼玉 石巻 浜松 沼津 富士 富士宮>
海外写真展 シリア・アラブ共和国 (ダマスカス・スエイダ) 中国 (上海市・岳陽市)

  講演会
2001 HELLOW CHINA 主催 上海市日中友好協会 会場 上海市フイチン百貨店
2007「写ルンです」で撮った平和      主催・会場 クレヨンハウス東京
2008 二ュ−ヨークの子どもが撮った平和 主催 横浜市 会場 赤レンガ倉庫
2008 平和にピント?世界の子ども       主催・会場 沼津市立図書館
2009 平和って何だろう   主催 原9条の会 会場 沼津市原地区センター
2009 カメラと平和と世界の子ども     主催・会場 名古屋第二赤十字病院
2010 行った!見た!シリア        主催・会場 快晴堂フォトサロン
2011 子どもが撮った3・11     主催・会場 富士市文化会館・ロゼシアター
2011 被災地の中学生          主催・会場 静岡市立安部川中学校
2012 前を向いて歩こう         主催・会場 埼玉県戸田市文化会館
2013 枯葉剤の子ども達  主催 平和の為の戦争展・会場 静岡市民ギャラリー
2013 被災地の中学生心の変化    主催 WCPP事務局 会場 石巻ニューゼ
2013 前を向いて歩こう          主催・会場 イオンタウン富士南
2014 シリアWATCHING                主催・会場 富士市立中央図図書館
2014 花はどこへ行った。         主催・会場 富士市立中央図書館 
2014 被災地の中学校からのフォトメッセージ主催・会場 新潟市中之口先人館 
2015 海抜ゼロからの富士登山道      主催・会場 ふじさんめっせ
2015 山伏と歩く海抜ゼロからの富士登山道 主催・会場 東京タワーホール
2016 漁師が撮った311「色のない世界を歩く」主催・会場 ジョイフル穂積

  掲載誌  
外務省「にぽにか」誌13号 サンデー毎日 日本カメラ社 ART MAGAZIN
災害医療と臨床検査 イラン航空 写真の言葉  EPTA 48号 カレント
毎日新聞社 日中友好新聞社 女性新聞社 岳南朝日新聞 フジニユース社

テレビ出演番組
NHK総合テレビ    ナビゲーション「明日へのシャッター」30分番組
CS朝日TV          武田鉄矢の週刊鉄学「写ルンです・で世界を撮る」生出演
静岡第一テレビ   報道特集 中学生が見つめた被災地と人々の姿
NBC長崎放送     報道特集 ファインダーから見つめた被災地
静岡朝日テレビ   報道特集 被災地の中学生が撮った写真展
NHK総合テレビ    キラキラしずおか人「写真を心のいやしに」生出演
新潟テレビ21     報道特集  被災地で「フォトセラピー写真教室」
NHK総合テレビ    ニュースシブ5時「石巻の子どもが写した心の軌跡」
 

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庄司博彦 3/28(火) 21:00:54 No.20170328210054 返信 削除
シリアで写真展を開催しましたが、そのきっかけは?

気温38度。09年秋、ダマスカス空港。ほかの中東諸国とは、かなり異なる。目の前に広がっているのは
砂漠とアサド大統領の大きな立て看板だけ。僕をシリアに呼び寄せたのはシリア大使館に勤務する友人
ハイサム・ヘメイダン氏「あなたのプロジェクトに感動しました。シリア文化省も賛同し全面協力しま
す」とのお誘い。シリアはイランの隣国でありイスラエルとは対立状態にある。
この国は思いのほか教育熱心だ。義務教育は小学校の6年間だけ。その後は中学・高校が3年ずつ。
その後の進路は、試験の結果で大学進学が決まる。

  シリアの子どもが思う平和とは?
授業が始まると自分の思う平和の定義を次々と語り出した。「学校で勉強できるって平和だよ」「家族
が健康で暮らせるのは平和」「何でも話せる友人がいるのは平和」「この国はみんなを守ってくれるか
ら平和」同じ様な意見を持つ生徒をグループ別に分けて、どこで何を写すかのディスカッションが始ま
った。写真教室を見守っていた政府関係者から来年シリアで写真展開催しませんかと招待を受けた。

  国営テレビも駆けつけ盛大に写真展
翌年の2010年。写真展開催のため5人の仲間と再びシリアの大地を踏んだ。空港前の道路は拡大され、
砂漠の中にはホテルが建っていた。会場は首都ダマスカスと近郊の都市スウェイダの2つの都市にある
いずれも国立美術館。オープニングパーティーには、政府関係者・文化省・外務省・バース党幹部を
はじめ在日シリア大使館・JICAシリア事務所など日本の関係者も来訪。もちろん教え子たちも大勢の
家族・親族で超満員。これらの模様は国営シリアテレビをはじめ民放テレビでも放映されたため、翌日
からどこに行ってもVIP 扱い。

  シリアの子ども達はいま?
写真展や写真教室開催し、帰国半年後シリアでは、中東の民主化運動「アラブの春」に触発され2011年
3月に反体制派が平和的デモを始めたが、アサド政権下武力で弾圧し内戦が始まり7年目。政権側はロシ
アやイランへの依存を深めクルド人勢力と連携する米国、北部に軍事介入したトルコを含めて関係国が
自国に有利な解決策を模索している。シリアに友人を持つ者としてシリア人同士の解決を期待する。
「平和って何だろう?」と考え君たちの考える平和を撮って来て!」そう言われた子ども達は片手に
「写ルンです」を持って教室を飛び出して行った。あの日の「レンズに込めた思い」を忘れないためにも…

   平和の願いをシャッター音に込めて
皆からよく受ける質問がある。「いくら平和を願い子ども達が好きとはいえ、これだけのプロジェクト
を継続しているのはなぜ?」「単なる情熱だけでは出来ないと思うが?」そんな時僕はいつもこう答える。
「子ども達から届くサンキューレターがパワーの源だ」と。世界にはなんと様々な子ども達がいることか。
彼らの視線は、その国の今を描き出している。共通して言えることは、安心して暮らせる社会、そして
平和を願っていることだ。たとえ、それがどんな小さな平和であっても……
このプロジェクトを通して僕のモットーは「ひとりでは何もできない。だがまず一人から始めなければな
らない」また海外に出て感じるのは「写真は世界の共通語」ということだ。

無題 
庄司博彦 3/28(火) 21:00:06 No.20170328210006 返信 削除
NHKテレビ 全国放送  3・11特別企画「ニュース・シブ5時」

2017年3月31日(金) 放映時間「午後5時〜6時の間」

仮題「石巻の子ども達が写した心の軌跡」

東日本大震災で被災した宮城県石巻市。そこに、震災直後から「使い切りカメラ」を手に、
自らの気持ちを写真で表現し続けている子ども達がいる。フォトジャーナリストの庄司博彦
が行っているフォトセラピー写真教室。その写真には「母の死」「進路」「心の傷」といっ
た重い課題に子ども達がどう向き合ってきたのか、その軌跡が映し出されている。

今も母の死と向かい合い続ける
石巻工業高校3年生の佐々木真輝くん18歳。母(当時35歳)を震災で亡くす。震災当日
は小学校の卒業式だった。母を助けられなかった無気力感に苦しみ続けていた彼の心を癒し
たのが、中学校の授業で僕が開いている写真教室だったようだ。中学1年生の時写した最初
の写真『無力なぼくたち』は被災した町の風景。1年後に撮った『ぼくとお母さん』は津波
が来る前日まで、母が履いていた僕のスリッパの写真。2年後には母の遺影に向かい写した
写真には『母へのメッセージ』と題名を付けた。3年後は憧れの高校に合格が決まった瞬間!
校庭に貼り出された受験番号だった。題名は前向きに生きるため『夢への第一歩』とした。
しかし6年 大きな被害を受けた地元・石巻にある日本製紙系列の工場に就職する。
卒業式を前にどのような写真を撮るのだろうか。そこに込めた思いとは?

故郷に残るか離れるか?被災地のリアルを写す
須田雄大くん19歳。震災当時は中学1年生だった。被災後3ヶ月には、石巻を直撃したもう
一つの『自然の災害』である大型台風を写した。1年後の作品は、津波に流されて自分の家
や周りのもの全てを失った風景を撮り『変わり果てた』というタイトルを付けた。
「今ならここに立てる気がする」と初めて現実と向かい合うために1年後、生まれ育った浜
を訪れた。集落ごと津波にさらわれ、家も船も漁具も失った。父も祖父もカキ漁師。生活
は依然として厳しい。
フォトセラピー写真教室では家族で支えあってきた海をテーマに写真を撮り続ける。
しかし、両親の会話から聞こえてくるのはカキ漁の今後の不安。地元を去る仲間も多い。
自分に出来ることは何かを模索する日々。故郷を離れるのか、残るのか。
そんな気持ちを写真でどのように表現してくれるのか?
さあ皆さん、番組をご覧ください。


  非営利活動 ワールドチルドレン・フォトプロジェクト代表

「被災地継続支援の会」会長・フォトジャーナリスト 庄司博彦

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庄司博彦 3/28(火) 20:58:22 No.20170328205822 返信 削除
子どもたちの笑顔に会いに行く

僕は、被災後、継続して写真教室や書籍の支援活動を続けている。その活動に
共鳴し、今は亡き吉村卓三先生(一般社団法人「日本作家クラブ」会長で動物
学博士)は、同クラブの常任理事を務める僕と一緒に宮城県石巻市を訪れ児童
図書の寄贈や講演会を開催し、子ども達に夢と希望を与えてきた。
生前は病床で「また石巻の子ども達に会いたいなぁ」と語っていたが、年末に
容体が急変し、帰らぬ人に……
吉村先生の思いを届けるため、今年も幼稚園や学校に本を寄贈するほか、被災
地で定期的に開いている写真教室の生徒たちと再会し、6年を経た今の気持ちを
写真で表現してもらう。
図書は故・吉村卓三先生の著書を中心に、賛同してくれた 日新報道社・ブック
マン社・LH出版社から寄贈を受けた。今回はこれまでにない感傷を胸に秘め
ての東北行きとなった。
NHKテレビ 全国放送  3・11特別企画「ニュース・シブ5時」

2017年3月31日(金) 放映時間「午後5時〜6時の間」

仮題「石巻の子ども達が写した心の軌跡」

東日本大震災で被災した宮城県石巻市。そこに、震災直後から「使い切りカメラ」を手に、
自らの気持ちを写真で表現し続けている子ども達がいる。フォトジャーナリストの庄司博彦
が行っているフォトセラピー写真教室。その写真には「母の死」「進路」「心の傷」といっ
た重い課題に子ども達がどう向き合ってきたのか、その軌跡が映し出されている。

今も母の死と向かい合い続ける
石巻工業高校3年生の佐々木真輝くん18歳。母(当時35歳)を震災で亡くす。震災当日
は小学校の卒業式だった。母を助けられなかった無気力感に苦しみ続けていた彼の心を癒し
たのが、中学校の授業で僕が開いている写真教室だったようだ。中学1年生の時写した最初
の写真『無力なぼくたち』は被災した町の風景。1年後に撮った『ぼくとお母さん』は津波
が来る前日まで、母が履いていた僕のスリッパの写真。2年後には母の遺影に向かい写した
写真には『母へのメッセージ』と題名を付けた。3年後は憧れの高校に合格が決まった瞬間!
校庭に貼り出された受験番号だった。題名は前向きに生きるため『夢への第一歩』とした。
しかし6年 大きな被害を受けた地元・石巻にある日本製紙系列の工場に就職する。
卒業式を前にどのような写真を撮るのだろうか。そこに込めた思いとは?

故郷に残るか離れるか?被災地のリアルを写す
須田雄大くん19歳。震災当時は中学1年生だった。被災後3ヶ月には、石巻を直撃したもう
一つの『自然の災害』である大型台風を写した。1年後の作品は、津波に流されて自分の家
や周りのもの全てを失った風景を撮り『変わり果てた』というタイトルを付けた。
「今ならここに立てる気がする」と初めて現実と向かい合うために1年後、生まれ育った浜
を訪れた。集落ごと津波にさらわれ、家も船も漁具も失った。父も祖父もカキ漁師。生活
は依然として厳しい。
フォトセラピー写真教室では家族で支えあってきた海をテーマに写真を撮り続ける。
しかし、両親の会話から聞こえてくるのはカキ漁の今後の不安。地元を去る仲間も多い。
自分に出来ることは何かを模索する日々。故郷を離れるのか、残るのか。
そんな気持ちを写真でどのように表現してくれるのか?
さあ皆さん、番組をご覧ください。


  非営利活動 ワールドチルドレン・フォトプロジェクト代表

「被災地継続支援の会」会長・フォトジャーナリスト 庄司博彦

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システム (50〜59才) @静岡県 3/7(火) 08:12:16 No.20170327194613 返信 削除
91,193バイト 102,640バイト
79,588バイト 68,310バイト
転送

1.  システム (50〜59才) @静岡県    3/7(火) 10:06:57 No.20170327194613-1 削除
放送予定の延期のお知らせ
国際情勢諸般の事情により、一部放送内容が変更になります。
よって、本日の放送予定は延期になってしまいます。


2.  システム転送 (50〜59才) @静岡県    3/27(月) 19:46:13 No.20170327194613-2 削除
放送予定
シブ5時
3/31、P17-18


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